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【キキョウ】普通という枠から外れて生きる

自己肯定感と

日本の教育の関係について

前回はお話をしました。

 

今回はもう少し踏み込んで

普通について述べましょう。

 

出る杭は打たれ、

自由過ぎると浮いてしまう。

普通でいれば大丈夫、と

多くの人は信じています。

 

しかし冷静に考えてみてください。

 

そもそも「普通」とは何、と。

 

基準はどこで、誰が決めたのでしょう。

どこまでが普通で、

どこからが異端なのでしょう。

 

答えられませんよね。

普通には定義がありませんから。

 

それでも私たちは、

なぜか「普通」に必死でしがみついています。

そうしないと不安で仕方がないからです。

 

みんなと同じなら安心、

外れれば不安。

その感覚は、もはや強迫観念に近いものです。

 

実際には誰も正体を

説明できていない「普通」という、

姿の見えない怪物に

怯え続けているようなもの。

 

だから苦しくなるのです。

 

ところが、皮肉なことですが

「普通でいたい」と願うほど、

普通から遠ざかります。

 

なぜなら、普通とは

多数派の実態ではなく、

多数派だと思い込まれている像だからです。

 

例えをあげてみましょう。

 

本当は疲れているのに

無理をして働くことが「普通」。

本当は休みたい人のほうが多数派なのに、

休むのは少数派だと思われています。

 

幸福のモデルは多様化しても、

普通の人生の残像は消えません。

 

多数派かどうかなんて関係ないのです。

 

だから、追えば追うほど

「普通」の側は逃げていく。

 

普通でいるつもりなのに、

幸せが遠ざかる。

これは残酷な構造です。

 

フレームから外れることは、怖い。

その感情は正常です。

 

けれど、外れたときに

初めて人はこう言えるのです。

 

「私は自分で選んだ」

 

この一言が言えた瞬間、

普通の呪縛は急速に力を失います。

 

自己肯定感は、そこから芽を出します。

 

普通の枠に収まることで得られる幸せは、

他人の正しさを生きる安心です。

 

普通から一歩外に出て得られる幸せは、

自分の選択で生きる喜びです。

 

どちらが正しいかではありません。

 

ただ、どちらかを

自分で選べる人間でありたい。

 

それが自己肯定ということです。

 

普通じゃない私で、構わない。

 

この一言を本心から言えたとき、

ようやく人生は

「自分の物語」に変わります。

 

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曽我部キキョウ

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