
【曽我部キキョウ】人も天も悲しくなると泣きます
今どきはあまり
使わないかもしれませんが
「天泣」という言葉を
ご存じでしょうか。
晴れているのに雨が降る、
いわゆる「天気雨」や
「狐の嫁入り」を指すのですが。
天の流す涙が雨となって
降ってくるという発想。
日本も含め、東アジアでは
天と人はつながっていて
悲しい出来事があると
天が泣く=雨が降ると
考えられていました。
今でも私たちは
「涙雨」という言い方をしますね。
別離や失恋などの折に
しとしとと雨が降ると
「ああ、涙雨だね」
などと言います。
これは気象用語ではなく
詩的表現ですので、
どういう雨が、という決まりは
あってないようなものでしょう。
一般的には
静かに、そっと降る雨が
このイメージだそうです。
例えば肉親との死別があって、
号泣しているときに
土砂降りだったとしても
「涙雨」とは言いにくいかもしれません。
泣くに泣けなくて、
目を潤ませているところに
小雨が降る、
そんなイメージの方が
ぴったりですね。
自分の代わりに
天が泣いてくれている、
というようで。
世の中には、
涙腺のゆるい人と、
なかなか泣けない人がいます。
この差は育ってきた環境や
性格的なもの、
その人の持つバイアスが
決めていると言っていいでしょう。
ただ、泣くことができない人は
冷たい人ではありません。
逆に、周りのよく泣く人の感情に
振り回されて
自分は泣けなくなったのかも
知れませんしね。
無理に泣こうとする必要は
ないでしょうけれど
哀しみを感じていれば
涙を出すと心が浄化します。
天に任せるのもいいですが、
夜中に一人で枕を
濡らすことになっても
泣けるようになるといいですね。