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【曽我部キキョウ】人生に勝敗はあるとして、どこで勝ち?

今はあまり言わないかもしれませんが。

 

一時、よく人生の「勝ち組」と
「負け組」という言葉を使いました。

 

いったい何をもって
勝ち負けを決めていたのか、
ふと気になりまして
調べてみますと。

 

勝ち組とは、すなわち
経済的に成功している、
社会的な地位を獲得している、
家庭環境において、不足がない。

 

このようなことが挙げられています。

 

負け組は、単純にその逆。
これらを手に入れられていない
人々ですね。

 

この基準をどう思うかは
後述するとして。

 

「勝ち組」や「負け組」という
言い方が現れたのは、
1990年代後半から
2000年代初頭のようです。

 

さて、勝つか負けるかというのは、
スポーツゲームなど、
ルールがあって、それに則った
試合の結果に使われます。

 

戦争などの大規模な紛争でも
勝ち負けの世界ですね。

 

競争社会、格差社会が
顕著になると
こちらもやはり
「勝ち」と「負け」が出てくるようで。

 

この3つ目の社会的な
勝敗が、人生においての
「勝ち組」や「負け組」として
表現されているのですね。

 

果たして、人生の勝負は
そのような、
即物的なものなのでしょうか。

 

哲学的な意味で
「人生で勝つ」とは
地位や名誉、金銭とは
関係がありません。

 

当然のことですが。

 

より深く人生を理解すること、
主体的に生きること、
幸福を追求すること、
などに重点が置かれます。

 

世間的に「人生の勝ち組」
となるのか、それとも
哲学的な「人生の勝者」
を選ぶか。

 

それはみなさま次第ですが、
社会が変われば、
世間の評というのも
変わるものです。

 

たとえ社会が変化しても
確固たる自分をもって、
己に克つ人生を送りたいものですね。

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