
【曽我部キキョウ】常識。そんなのは、ただの思い込み。
かつてかの有名な
物理学者のアインシュタインは
『常識』についてこう言いました。
「Common sense is
the collection of prejudices
acquired by age eighteen.」
訳すとつまり。
「常識とは、
18歳までに身につけた
偏見のコレクションである。」
コレクションを堆積物とする
日本語訳もあります。
また、経営学者である
ピーター・ドラッカーは
「常識を疑え」と説きました。
こうまでひどい言われ方をする
『常識』とは何でしょう。
某辞書には
健全な一般人が共通に持っている、
または持つべき、
普通の知識や思慮分別、とあります。
ここでまた、普通って何だ?
となるわけですが
それは後の課題として。
我々が今常識だと思っている
一つ一つの事柄について
一度考えてみてください。
普遍的なものはあるでしょうか。
今PCを使用してこの
文章を打っています。
現代の子供にとっては
常識的な行動でしょう。
親世代にも、そうかもしれません。
祖父母世代になるとどうでしょう。
機械の箱を使って文字を打つなんて。
心のこもった文章は手書きでしょ。
そう言うかもしれません。
はるか昔は石板に彫っていた文字。
紙とペンになり、
タイプライターになり、
ワープロを経て、
コンピューターへ。
時代とともに変化しています。
大昔の人がタイムスリップして
その人の常識を振りかざしても
おかしい人と思われるだけです。
日本では夏になると日傘を差し、
肌の白さを保とうとします。
しかしもともと肌の白い、
コーカソイド系の人々は、
その様子を見て唖然とするのです。
どうしてわざわざ陽を避けるの?
健康的な肌になるチャンスじゃない、と。
日本の常識、海外の常識にあらず。
時代や場所が変われば、
常識も変わります。
普遍的なようで、
かなり流動的な『常識』。
そんなものに縛られていませんか?
ときには自分の『常識』を
「疑って」かかり、
その殻を破ってみましょう。
新しい世界が見えるはずです。