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【曽我部キキョウ】自由を嫌う人は、その理由を美談にする

自由の定義はさておき、

自由でないことを選ぶ自由も、

人には与えられています。

 

しかし問題はそこではありません。

自由でないことを選ぶ自由を

他人にも強要し始めた瞬間、

話は変わります。

 

自由であることを認めない、

認めたくない人は一定数存在します。

 

彼らはたいてい、

伝統や常識、普通という枠を

必要以上に重んじています。

 

そしてそれらを、

自分の不安を正当化する材料として

使っています。

 

例えば伝統を重んじる人は、

「昔からそうだから」という理由で、

自らの思考を止めてしまいます。

 

説明責任や、更新の努力を怠り、

その場にとどまろうとする。

 

伝統とは、知恵の蓄積であり、文化です。

 

守りながら自由でいることは

もちろん可能です。

 

しかし、「伝統」を守るという口実で

自由ではないことを選び、

他者にそれを強要しようとする人が

いることも事実です。

 

また、常識についても、

時代、時代に合わせた

最大公約数のことです。

 

ところが、この常識に、

全ての人が合わせなくてはならないと考えると

これもまた、思考の檻が登場します。

 

「こんなこと、常識」、

そう言われると、

言われた側は途端に非常識になります。

 

しかし、常識というものは

時代とともに変わりますし

全ての人に共通でもないのです。

 

常識を振りかざすことで

勝ち誇っていても、

それは議論を省いて、

相手を封じ込めようとしているだけ。

 

そして普通。

 

普通とは、人格とは全く関係のない、

統計的な言葉と言えます。

 

平均値近辺にいる、それだけ。

 

しかし、「普通でいましょう」というと、

平均から外れることを

禁じられてしまいます。

 

普通を選ぶ自由もありますが、

これもまた、強制されるようなことではありません。

 

伝統を守れ。

常識だから。

普通でいなさい。

 

すべてが管理する側が楽になるための

安心材料を美しい言葉に包んだだけ。

 

自由であるためには

この呪縛から逃れ、

そのうえで自ら選ばねばなりません。

 

自由を嫌う人は、

意識せずに選んでいるにも関わらず、

他人には、選択肢を与えようとしません。

 

ただし、これらの人は、あなたの自由を

奪おうとしているわけではありません。

 

自分の安心を脅かされたくないだけ。

 

自分に正直に、自由に生きたいのであれば

伝統、常識、普通を口に出されたとき、

それに応えておとなしくなる必要はありません。

 

彼らが安心を選ぶのと同じように、

あなたには別のものを選ぶ権利があります。

 

※過去の記事はこちらでご覧いただけます。

※ほしよみ堂の記事はこちらからどうぞ。

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