
【龍空】日本の暦の歴史
私たちの身近にあるカレンダー。
そのカレンダーが、いつからどのように伝えられたのか?
カレンダーのはじまりである「暦(こよみ)」
の歴史をみていきましょう。
■暦の渡来
暦は中国から朝鮮半島を通じて日本に伝わりました。
大和朝廷は百済(くだら)から暦を作成するための
暦法や天文地理を学ぶために僧を招き、
飛鳥時代の推古12年(604)に
日本最初の暦が作られたと伝えられています。
暦は朝廷が制定し、大化の改新(645)で
定められた律令制では、中務省(なかつかさしょう)に
属する陰陽寮(おんみょうりょう)が
その任務にあたっていました。
陰陽寮は暦の作成、天文、占いなどをつかさどる役所であり、
暦と占いは分かちがたい関係にありました。
平安時代からは、暦は賀茂氏が、
天文は陰陽師として名高い安倍晴明(あべのせいめい)を
祖先とする安倍氏が専門家として
受け継いでいくことになります。
■太陰太陽暦とは?
当時の暦は、「太陰太陽暦(たいいんたいようれき)」
または「太陰暦」、「陰暦」と呼ばれる暦でした。
1ヶ月を天体の月(太陰)が満ち欠けする周期に合わせます。
天体の月が地球をまわる周期は約29.5日なので、
30日と29日の長さの月を作って調節し、
30日の月を「大の月」
29日の月を「小の月」
と呼んでいました。
一方で、地球が太陽のまわりをまわる周期は約365.25日で、
季節はそれによって移り変わります。
大小の月の繰り返しでは、
しだいに暦と季節が合わなくなって来ます。
そのため、2〜3年に1度は閏月(うるうつき)を設けて
13ヶ月ある年を作り、季節と暦を調節しました。
大小の月の並び方も毎年替わりました。
暦の制定は、月の配列が変わることのない
現在の太陽暦(たいようれき)とは違って
非常に重要な意味をもち、
朝廷や後の江戸時代には幕府の監督のもとにありました。
太陰太陽暦は、明治時代に太陽暦に改られるまで続きます。
なるほど~
日本の暦の歴史を知ると
時代によって変化し
暦を作った人々の知恵や時代背景が伺えます。