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贅沢に慣れた自分に、喝を入れてみた 【曽我部キキョウ】

現代は食べ物が、豊富な地域と

足りなくて困っている地域と

極端に偏っています。

 

食べ物が足りないところでは

5歳未満の子供が

食べられなくて死んでいきます。

 

一方の豊かな国では

余った食べ物を捨てています。

 

昔々、まだどこでも食べ物が

十分ではなかったころ

動物は貴重な食べ物でした。

 

狩りで得た動物は

感謝の念を込めて

肉はおろか、角の一本まで

余すことなく利用したのです。

 

皮は加工して衣料に

骨は削って、次の獲物を借るための武器に。

肉は部位を問わず、

腹を満たすために食べました。

 

その代わり、犠牲にした動物への

感謝の念を忘れません。

 

一方、今では「かわいそうだから」

動物を食べない人もいるほど

彼らに対する愛着があるようですが

残酷さで言うとどうでしょう。

 

毛皮のために、装飾品のために

さまざまな動物が犠牲になっています。

 

肉さえも、誰の口にも入らなくとも

『生産』されています。

 

牧畜というかたちで

どんどん作られ、どんどん消費される、

そんな世の中です。

 

スーパーマーケットに行けば

切り刻まれた肉が売られ

ファー(動物の毛)の付いた服が

可愛く飾られています。

 

当たり前すぎて、感謝を忘れてしまいますね。

 

世の中には空腹で死んでしまう子供たちが

何万人といます。

昔は動物に、感謝をしていました。

 

今のわたしたちが口にする食料が

どれだけありがたいか。

アクセサリーや洋服に使われる

動物の一部が、どれだけ貴重か。

 

自分の命を維持するために

さまざまな犠牲があるのだということを

たまに思い出してみましょう。

 

少し違った角度で

自分の生活を見直せるかもしれません。

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