【曽我部キキョウ】「正しいこと」と「決められたこと」は違う
少し想像してみてください。
ネット申請を行うとします。
ウェブサイト上には、こうあります。
「申請フォームに必要事項を入力してください」
電話番号は載っていません。
けれどもあなたは、
担当者のLINEを知っています。
さて、どうしますか。
おそらく幾人かは、
担当者のLINEに連絡する、と
考えたと思います。
確かに、直接担当者に言えば
確実なように思われます。
ただし、もう一度考えたいのが
このネット申請の運用ルールです。
この場合、申請を受け付ける処理の都合上、
申請フォームを全員に使ってもらいたい、と
考えての運用ルールではないでしょうか。
世の中には、たくさんの独自ルールがあります。
申請に限らず、社内メールの使い方、
グループチャット、ゴミ出し。
「件名に自分の名前を入れてください」
「私的な発言は控えてください」
「当日の朝に出してください」
これらのルールに対して、
必ずと言っていいほど
従わない人が一定数います。
ただ、こういうルールを守らない人は
何も反抗しているわけではありません。
メールアドレスで名前分かるよね。
挨拶はした方がいいよね。
朝、間に合わないより、夜出しておきたいな。
だから、事前に説明されているにも関わらず
「私はこれでいいと思う」で動いてしまいます。
効率や礼儀を考えることは
悪いことではありません。
けれども、それはあくまでも
「私ならこうする」という自分流を、
ルールより優先させた結果です。
これは、どれほど効率的であっても、
親切であっても、ルール違反です。
では何も考えずに
ルールに従えばいいのか。
これも違います。
ルールがおかしいと思えば、
声を出していいのです。
このルールはこういう理由で
不便ではないですか。
変更を検討してください。
このような提案は、むしろ必要です。
ルールがあるのに、自分だけ勝手に変える。
これが問題なのです。
一人が夜にゴミを出しても
大した問題にはなりません。
ところが、同じような人がいて、
どんどん積み重なっていくとどうでしょう。
ルールは機能しなくなります。
最終的に「そんなルール、あった?」と
誰もが好き勝手にするでしょう。
一人の「これぐらい、いいよね」や
「こうした方が、いいんじゃない」が
ルール変更を経ずに行われ続けると、
もはや無法状態も同然です。
ルールがおかしいと思ったら
自分の判断で破るのではなく、
変えるための声を上げませんか。
ルールは、守るか破るかの
二択ではありません。
変えるという選択肢があるのです。
選べる道を増やす、もう一つの見方を
曽我部キキョウ

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2026年8月
1日、2日、3日、8日、10日、11日、15日、16日、17日、18日、22日、24日、28日、30日、31日
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2026年8月
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