【曽我部キキョウ】境界線は誰が引いたのか ~その線は借り物かもしれない
見境のない行動と言います。
恋愛にしても、営業手法にしても。
その他いろいろ、あります。
しかし、本当に見境がないかというと、
実際にはある程度選んでいます。
一定の基準はあるのです。
見境なく食べると言っても
好き嫌いは健在です。
見境なく声をかけるといっても
道ゆく人全員に声をかけてはいません。
つまり、境はあります。
人は常にどこかに境界線を引いて生きています。
では、境は一体どこにあるのでしょう。
常識と非常識ということで見ると。
もちろんその間には、
明確な境界があるように思います。
これは常識の範囲、
あれは非常識。
ところがこの常識というものは
時代と共に、あるいは社会によって
変化しています。
常識と非常識の境は、消えていません。
そう、境界線は動くのです。
極端な話ですが、
戦争というものを考えてみてください。
対立の理由はその戦争ごとに違います。
例えば宗教的対立。
あるいは自国の独立のためのもの。
理由は何でも構いません。
そのとき、日常であれば
おおよそ許容しない殺人を
それが当然のように犯します。
「禁忌」の境界が変化しているからです。
隣人は殺してはいけない、
けれども、敵の兵士は殺してもいい。
戦後になって、冷静に考えると
恐ろしい話です。
日本にとって、戦争というと
過去の大戦を思い浮かべる方が多いでしょう。
そういうこともあったね、と
他人ごとに思うかもしれません。
けれども、境界線の移動は
現代でも頻繁にあることなのです。
簡単な例で言いますと。
落としたものを食べるか。
昔なら「3秒ルール」などと言って、
サッと拾って食べました。
今はどうでしょう。
「汚いから捨てる」が普通、
何なら拾いもせず放置です。
こういう例は身近にあふれています。
ニュースで流れる情報。
社会の空気。
そういうものを元に、
無意識のうちに境界線を引いて
日々の生活を送っています。
けれども、その境界線を引くとき、
本当にそれは自分で作ったものか
あまり考えていないのも事実です。
誰かが言ったから。
それが当たり前だから。
そういう意識で、なんとなく
そこに境界線を作るのです。
これは、考えようによっては
少し恐ろしいと思いませんか。
気付けば誰かが作り上げた境界線を、
自分で引いたものと思い込んでいる。
そんなこともあり得るわけです。
境界線自体は生きていくうえで
必要なものです。
なくせとは言いません。
けれども、自分が引いた境界線に対して
なぜそこに境界線を引いたのか、
立ち止まって考えることも
必要なのではないでしょうか。
※過去の記事はこちらでご覧いただけます。
※ほしよみ堂の記事はこちらからどうぞ。

★★★曽我部キキョウ★★★
★★ご予約は各店舗にて承っております★★
★★出演予定★★
★ほしよみ堂大阪アメ村店★
2026年8月
1日、2日、3日、8日、10日、11日、15日、16日、17日、18日、22日、24日、28日、30日、31日
★ほしよみ堂池袋店★
2026年8月
6日、7日、20日、21日、25日、27日
★★タロットカードレッスン行っています★★
詳細はほしよみ堂 大阪アメ村店までお問い合わせください。
電話番号 070-9316-0272

